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2007年02月10日
前回の続き。
徳川氏の二条城については、修学旅行で何度か訪れているので、 今回は内部見学はパスした。 かわりに、 幕末時代の写真 と近いアングルから写真を撮ってみた。 堀川にかかる二条橋からの撮影である。
堀川通が圧倒的に広くなり、堀川がドブのように細くなっているため、 全く同じアングルにはならないが、同じ場所に同じように松が何本か生えている。
二条城を外から眺めた後、程近い場所にある妙顕寺城 (二条新邸) 跡に移動。 押小路通小川西入ル北側に石碑と立札が立っている。
ここは豊臣秀吉が大坂城を建設して政権を固めた時期に、 在京都の政庁兼滞在時の宿舎として建設した妙顕寺城の跡である。 跡地は現在立派な寺になっている。ちなみに対面は中華ソバ屋。
石碑と立札以外にも、ここの地名が「古城町」なのが一応名残を残している。
参考リンク: 豊臣秀吉妙顕寺城跡
※「妙顕寺」そのものは秀吉によって移転させられて、それ以来上京区寺ノ内通小川東入にある。 裏千家今日庵、表千家不審菴の近所だ。 小川通沿いには武者小路千家もあるから、千家のお茶と縁が深い。
徳川二条城にしろ妙顕寺城跡にしろ、 まっ平らな平地に建っていて天然の要害としての要素が全く無い。 ただ、堀川を天然の外堀として想定していたであろうことだけはわかる。 家康も秀吉も、どうせ京都の街中では防御力を高めようとしてもタカが知れているから、 それなら便利な場所が良いと割り切ってこのあたりに城郭を建てたのではないだろうか。
続く。
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